2024年頃をメドに、JR東日本の電気機関車・ディーゼル機関車の置換えを発表
JR東日本のHPで、新型砕石輸送気動車および事業用電車の導入がついに 1/19 (火) 正式発表されました。
石散布作業用の新型電気式気動車「GV-E197系」 入換作業や回送列車けん引用の新型電車「E493系」 です。
これにより、いま在籍の EF64 EF65 EF81 ED75 DD51 DE10 DE11 DD16 など、
貴重な国鉄型が全廃もしくは、SL補機・カシオペア用を除いて残りは廃車のような噂があります。
・・・時代の流れとはいえ、なんとも残念な話です。まるで機関車在籍ゼロの JR東海みたい。
その反面、蒸気機関車は全部残すというのだから、よくわからない・・・。我々のような、ホンモノのSLを知らない世代
には、電機やディーゼル機関車のほうが身近で親しみがあり、手厚い保護下にあるSLには、あまり魅力を感じません。
もはやレール輸送は、徐々にキヤ牽引に移行中だし、ホキ牽引や、電車・気動車の入場回送牽引とか、甲種輸送など
も、ここ1~2年のうちに順次機関車が撤退するのでしょうね。 ・・・味気ない話です。

国鉄型機関車に代わって導入の、GV-E197系イメージ (JR東日本ニュースリリースより)

こちらも国鉄型機関車に代わって、廃車回送や入場回送を担当のE493系イメージ (JR東日本ニュースリリースより)
石散布作業用の新型電気式気動車「GV-E197系」 入換作業や回送列車けん引用の新型電車「E493系」 です。
これにより、いま在籍の EF64 EF65 EF81 ED75 DD51 DE10 DE11 DD16 など、
貴重な国鉄型が全廃もしくは、SL補機・カシオペア用を除いて残りは廃車のような噂があります。
・・・時代の流れとはいえ、なんとも残念な話です。まるで機関車在籍ゼロの JR東海みたい。
その反面、蒸気機関車は全部残すというのだから、よくわからない・・・。我々のような、ホンモノのSLを知らない世代
には、電機やディーゼル機関車のほうが身近で親しみがあり、手厚い保護下にあるSLには、あまり魅力を感じません。
もはやレール輸送は、徐々にキヤ牽引に移行中だし、ホキ牽引や、電車・気動車の入場回送牽引とか、甲種輸送など
も、ここ1~2年のうちに順次機関車が撤退するのでしょうね。 ・・・味気ない話です。

国鉄型機関車に代わって導入の、GV-E197系イメージ (JR東日本ニュースリリースより)

こちらも国鉄型機関車に代わって、廃車回送や入場回送を担当のE493系イメージ (JR東日本ニュースリリースより)
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旧国鉄 : 日中線の廃止から35年。 ・・・熱塩駅のいま。
かつて福島県の磐越西線 喜多方駅から分岐していた、国鉄日中線が廃止されたのは、1984 (昭和59) 年4月1日。
途中駅数たった4駅、総延長11.6kmの盲腸線が消滅して、今年で35年になります。保存されてる終点の熱塩駅を訪れました
1938 (昭和13) 年8月 に全線開業して、地元の期待を担ったものの、芳しくない利用状況で、全4駅が1957 (昭和32) 年に無人化、終点の熱塩駅は、廃止前には、その欧風建築の駅舎の風情に魅せられて、駅を訪れてスケッチする方々も多かったようですが、当時は駅施設はかなり荒廃していたようです。
今回、はじめて訪れて見て、大変良い状態で駅跡が保存されてて、嬉しい気持ちになりました。
現在は、「日中線記念館」 として、地元で管理されて公開されており、、末永くこの状況が続く事を願ってやみません。

お洒落なカフェのような佇まい。 1938(昭和13)年の開業時のままの 旧 : 熱塩駅舎。 (2019年6月23日)

線路は撤去され、芝生広場になってる駅構内、1番ホームから階段で下りられます。 (2019年6月23日)

廃止直前まで、ここからDE10+オハフ60系の客車列車が、朝夕のみ計3往復運転されてました。 (2019年6月23日)

駅舎内のきっぷ売り場も、昔のままに整備し直されています。 (2019年6月23日)

改札窓口の内部は、懐かしい切符収納庫や、日付印字器も配置されています。 (2019年6月23日)

駅長事務所は資料館となって、かつての駅ゆかりの鉄道用品が展示されています。 (2019年6月23日)

こちらは廃止間近の日中線 : 熱塩駅に停車する客車列車。 自宅にある資料からのコピーです。当時もし大人になってたら来てみたかったです。 日中線:熱塩駅 (1983年)
途中駅数たった4駅、総延長11.6kmの盲腸線が消滅して、今年で35年になります。保存されてる終点の熱塩駅を訪れました
1938 (昭和13) 年8月 に全線開業して、地元の期待を担ったものの、芳しくない利用状況で、全4駅が1957 (昭和32) 年に無人化、終点の熱塩駅は、廃止前には、その欧風建築の駅舎の風情に魅せられて、駅を訪れてスケッチする方々も多かったようですが、当時は駅施設はかなり荒廃していたようです。
今回、はじめて訪れて見て、大変良い状態で駅跡が保存されてて、嬉しい気持ちになりました。
現在は、「日中線記念館」 として、地元で管理されて公開されており、、末永くこの状況が続く事を願ってやみません。

お洒落なカフェのような佇まい。 1938(昭和13)年の開業時のままの 旧 : 熱塩駅舎。 (2019年6月23日)

線路は撤去され、芝生広場になってる駅構内、1番ホームから階段で下りられます。 (2019年6月23日)

廃止直前まで、ここからDE10+オハフ60系の客車列車が、朝夕のみ計3往復運転されてました。 (2019年6月23日)

駅舎内のきっぷ売り場も、昔のままに整備し直されています。 (2019年6月23日)

改札窓口の内部は、懐かしい切符収納庫や、日付印字器も配置されています。 (2019年6月23日)

駅長事務所は資料館となって、かつての駅ゆかりの鉄道用品が展示されています。 (2019年6月23日)

こちらは廃止間近の日中線 : 熱塩駅に停車する客車列車。 自宅にある資料からのコピーです。当時もし大人になってたら来てみたかったです。 日中線:熱塩駅 (1983年)
JR名松線 6年半ぶり全面復旧。
台風被害による道床流出で、2009年秋以降ずっと運休区間のあったJR名松線が、6年半ぶりに全面復旧しました。
松阪~伊勢奥津間43.5キロのうち、災害に見舞われた家城~伊勢奥津の17,7キロ区間が、バス代行運転で振り替え輸送されてましたが、それまでのこの区間の輸送人員は1日約80名程度・・・!。超閑散区間ですね。
一時はコレを機会に廃線に踏み切る予定だったJR東海でしたが、地元からの誓願で運行再開に向けた協議を重ね、やっとのことで復旧工事が完了しました。
さっそく様子を観に行きましたが、なんともまあお祭り騒ぎでした。

雲出川沿いの茶畑を行くキハ11の2連。祝賀ヘッドマークはステッカー式で貫通扉に貼ってあるだけで味気ないですね。 名松線 : 伊勢竹原~伊勢鎌倉 (2016年3月26日)

イヴェント会場となった伊勢八知駅と、終点伊勢奥津駅は、大変な賑わいでした。 (2016年3月26日)

こちらはマークなし2連ですが、各車両とも通勤電車並みの混雑でした。 名松線 : 比津~伊勢八知 (2016年3月26日)

名松線復旧祝賀マークを付けてボンネットバスも無料運行しました。 1966 (昭和41) 年式、いすゞBXD30型です。 (2016年3月26日)

坂道を登ってくるBXD30型。唸るエンジン音はなかなか迫力あります。 15分おきに運行され、乗車率も良かったです。 (2016年3月26日)

ボンネットバス乗車記念の硬券乗車票です。我々も頂きました。
松阪~伊勢奥津間43.5キロのうち、災害に見舞われた家城~伊勢奥津の17,7キロ区間が、バス代行運転で振り替え輸送されてましたが、それまでのこの区間の輸送人員は1日約80名程度・・・!。超閑散区間ですね。
一時はコレを機会に廃線に踏み切る予定だったJR東海でしたが、地元からの誓願で運行再開に向けた協議を重ね、やっとのことで復旧工事が完了しました。
さっそく様子を観に行きましたが、なんともまあお祭り騒ぎでした。

雲出川沿いの茶畑を行くキハ11の2連。祝賀ヘッドマークはステッカー式で貫通扉に貼ってあるだけで味気ないですね。 名松線 : 伊勢竹原~伊勢鎌倉 (2016年3月26日)

イヴェント会場となった伊勢八知駅と、終点伊勢奥津駅は、大変な賑わいでした。 (2016年3月26日)

こちらはマークなし2連ですが、各車両とも通勤電車並みの混雑でした。 名松線 : 比津~伊勢八知 (2016年3月26日)

名松線復旧祝賀マークを付けてボンネットバスも無料運行しました。 1966 (昭和41) 年式、いすゞBXD30型です。 (2016年3月26日)

坂道を登ってくるBXD30型。唸るエンジン音はなかなか迫力あります。 15分おきに運行され、乗車率も良かったです。 (2016年3月26日)

ボンネットバス乗車記念の硬券乗車票です。我々も頂きました。
網干総合車両所宮原支所の景色 (2015年4月編)
「網干総合車両所宮原支所」 ・・・いまは随分長い名前になりましたね。
数年前までは宮原総合運転所と呼ばれ、もっと昔は宮原機関区とか宮原客車区とか言ってました。ご年配の方々にはミハサロ (サロンカーなにわ) とか、ミハ座 (スロ81系お座敷客車) という呼び名で、ココに在籍する客車に愛称付けてらっしゃった方々多いと思います。
先日の2015年3月ダイヤ改正で定期トワイライトEXPが引退し、かつての寝台特急の一大基地:「宮原区」 も、今はひっそりとしてしまいました。
新大阪駅の真横に位置する宮原支所、かつて新幹線の窓から見えたEF58150やEF651、二重屋根のスエ30などの保留車は構内から搬出され、風景も時代とともに大きく変化していきます。留置線に客車が並ぶ貴重な光景、1日でも長く続いてほしいものですね。

画面に映る約40両の客車群・・・これがJR西日本に残った客車のほぼ全て (やまぐち号・おろち号用除く) と言っても過言ではありません。JR西日本発足時は500両以上いた客車も風前の灯です。 網干総合車両所宮原支所 (2015年4月21日)
数年前までは宮原総合運転所と呼ばれ、もっと昔は宮原機関区とか宮原客車区とか言ってました。ご年配の方々にはミハサロ (サロンカーなにわ) とか、ミハ座 (スロ81系お座敷客車) という呼び名で、ココに在籍する客車に愛称付けてらっしゃった方々多いと思います。
先日の2015年3月ダイヤ改正で定期トワイライトEXPが引退し、かつての寝台特急の一大基地:「宮原区」 も、今はひっそりとしてしまいました。
新大阪駅の真横に位置する宮原支所、かつて新幹線の窓から見えたEF58150やEF651、二重屋根のスエ30などの保留車は構内から搬出され、風景も時代とともに大きく変化していきます。留置線に客車が並ぶ貴重な光景、1日でも長く続いてほしいものですね。

画面に映る約40両の客車群・・・これがJR西日本に残った客車のほぼ全て (やまぐち号・おろち号用除く) と言っても過言ではありません。JR西日本発足時は500両以上いた客車も風前の灯です。 網干総合車両所宮原支所 (2015年4月21日)
「餘部鉄橋」 架け替えから5年、今と昔の比較。
先日、山陰本線:鎧~餘部間に架かる 「餘部鉄橋」 に行ってきました。
我々鉄道ファンのみならず、一般の旅行者の方々にも広く知られた有名なスポットですね。今のコンクリ橋は2010年竣工の2代目ですが、初代は何と1912 (明治45) 年竣工.。海風や風雪に耐え、100年弱も鉄路を支えたのでした。
かつて1986 (昭和61) 年には、お座敷客車みやびの転落という痛ましい事故もありましたが、いまその場所には慰霊碑が建てられ、鉄橋周辺は憩いの場として整備され、道の駅も開設され、ちょっとした観光ポイントとなって賑わっています。
今の画像と、昔私がガキ時代に撮った画像で振り返ってみましょう。

近代的なコンクリ鉄橋と、昔懐かしい国鉄色DCのコラボ。 画像のキハ41は、キハ47を両運転台改造した車両で、わずか5両のみの小世帯。 画面下の緑地帯は公園で、右の駐車場は 「道の駅あまるべ」 です 山陰本線:餘部~鎧 (2015年4月11日)

美しき 「鋼の芸術」 初代の餘部鉄橋。1912 (明治45) 年竣工。・・今から30年前、私のガキ時代にはまだ旧型客車が走っており、旧型客車に乗って現地に赴き、旧型客車を撮って、また旧型客車に乗って移動という、贅沢な内容でした 山陰本線:鎧~餘部 (1985年3月28日)

上の画像を撮った翌日、鉄橋対岸のトンネル上から撮った画像。同じDD51775号がやってきました。 画像後方左側に見えるのが餘部駅の小さな無人駅ホームや待合室、地平からのスロープです。 山陰本線:餘部~鎧 (1985年3月29日)

夜明け前の山陰本線では、鮮魚・塩干の行商人用にオハニ36が連結されていました。・・画像のオハ二367は廃車後、大井川鐡道に譲渡され今もで活躍中です。 山陰本線:香住 (1985年3月28日)

餘部駅ホーム脇からも撮影する事が出来ました。 若番台DD5151+旧型客車。 この界隈は函館本線山線区間と並び日本最後の旧型客車定期運用区間 (和田岬支線除く) となり、その活躍は1986年10月一杯まで続きました。 山陰本線:餘部~久谷 (1984年3月26)

畑から撮ったカット。ここで逆光を活かして撮る方々も多かった事でしょうね。 この背後の山からの俯瞰や、海側からの撮影などなど画になるポイントの多い旧餘部鉄橋でした。 山陰本線餘部~鎧 (1984年3月26日)

今のコンクリ橋の横に、初代橋梁の一部は保存され、往時を偲ぶ遺構として、末長くその姿と歴史を受け継いでいく事でしょう。 山陰本線:餘部駅 (2015年4月11日)
我々鉄道ファンのみならず、一般の旅行者の方々にも広く知られた有名なスポットですね。今のコンクリ橋は2010年竣工の2代目ですが、初代は何と1912 (明治45) 年竣工.。海風や風雪に耐え、100年弱も鉄路を支えたのでした。
かつて1986 (昭和61) 年には、お座敷客車みやびの転落という痛ましい事故もありましたが、いまその場所には慰霊碑が建てられ、鉄橋周辺は憩いの場として整備され、道の駅も開設され、ちょっとした観光ポイントとなって賑わっています。
今の画像と、昔私がガキ時代に撮った画像で振り返ってみましょう。

近代的なコンクリ鉄橋と、昔懐かしい国鉄色DCのコラボ。 画像のキハ41は、キハ47を両運転台改造した車両で、わずか5両のみの小世帯。 画面下の緑地帯は公園で、右の駐車場は 「道の駅あまるべ」 です 山陰本線:餘部~鎧 (2015年4月11日)

美しき 「鋼の芸術」 初代の餘部鉄橋。1912 (明治45) 年竣工。・・今から30年前、私のガキ時代にはまだ旧型客車が走っており、旧型客車に乗って現地に赴き、旧型客車を撮って、また旧型客車に乗って移動という、贅沢な内容でした 山陰本線:鎧~餘部 (1985年3月28日)

上の画像を撮った翌日、鉄橋対岸のトンネル上から撮った画像。同じDD51775号がやってきました。 画像後方左側に見えるのが餘部駅の小さな無人駅ホームや待合室、地平からのスロープです。 山陰本線:餘部~鎧 (1985年3月29日)

夜明け前の山陰本線では、鮮魚・塩干の行商人用にオハニ36が連結されていました。・・画像のオハ二367は廃車後、大井川鐡道に譲渡され今もで活躍中です。 山陰本線:香住 (1985年3月28日)

餘部駅ホーム脇からも撮影する事が出来ました。 若番台DD5151+旧型客車。 この界隈は函館本線山線区間と並び日本最後の旧型客車定期運用区間 (和田岬支線除く) となり、その活躍は1986年10月一杯まで続きました。 山陰本線:餘部~久谷 (1984年3月26)

畑から撮ったカット。ここで逆光を活かして撮る方々も多かった事でしょうね。 この背後の山からの俯瞰や、海側からの撮影などなど画になるポイントの多い旧餘部鉄橋でした。 山陰本線餘部~鎧 (1984年3月26日)

今のコンクリ橋の横に、初代橋梁の一部は保存され、往時を偲ぶ遺構として、末長くその姿と歴史を受け継いでいく事でしょう。 山陰本線:餘部駅 (2015年4月11日)