怪奇!JR四日市前の廃墟スポット 「明るい商店街」
JR四日市駅すぐ近くにある、かなり怖い廃墟スポットがあります。 「三和商店街」 通称 : 明るい商店街 です。
三重県四日市市は人口31万人。かつて1950年代までは旧国鉄四日市駅前は街の玄関口として活況を呈してました.。しかし1956(昭和31)年に、約1km西に 「近鉄四日市駅」 が移転開業した時から凋落が始まります。
街の中心機能も、つぎつぎ近鉄四日市駅界隈に移行し、国鉄四日市駅の周りは次第に活気を失い、現在に至ってます。
この「三和商店街」、かつては個人商店やスナック・パブなどが数多く入店してた名残があり、いまも僅かに数店舗のみが生き残ってますが、殆どのテナントが空き家になっており、通路は屋根が抜け落ち、崩壊しそうな個所もあります。
四日市にDF200貨物を撮りに来られた方々、一度立ち寄ってみてはいかがでしょうか??

ちょっと怖いですね。時代の波に揉まれて葬り去られた戦後復興の遺産です。・・・過去の賑わい今いずこ・・・

屋根は抜け落ちて、ほぼ廃墟・・・。なんか昭和30年代の日活映画のワンシーンみたいです。。

崩壊して危険なエリアも何カ所かあります。重機が入れず、解体もままならない感じです。

角材や板で応急処置がなされた状態で放置されてるか所も多いです。 「頭上注意」 の文字も。

一部現役の店舗もあり、明かりが灯るとノスタルジーな空気感が醸し出されます。

夜の商店街入り口・・・かなり不気味です。かつてこの商店街でひと旗揚げた先人達の亡霊が、挽歌を奏でてるような雰囲気です。

JR四日市駅北側に踏切にある、懐かしい「フジカラー」の看板。・・・デジタル時代になって、この看板も急速に消えつつあります。
三重県四日市市は人口31万人。かつて1950年代までは旧国鉄四日市駅前は街の玄関口として活況を呈してました.。しかし1956(昭和31)年に、約1km西に 「近鉄四日市駅」 が移転開業した時から凋落が始まります。
街の中心機能も、つぎつぎ近鉄四日市駅界隈に移行し、国鉄四日市駅の周りは次第に活気を失い、現在に至ってます。
この「三和商店街」、かつては個人商店やスナック・パブなどが数多く入店してた名残があり、いまも僅かに数店舗のみが生き残ってますが、殆どのテナントが空き家になっており、通路は屋根が抜け落ち、崩壊しそうな個所もあります。
四日市にDF200貨物を撮りに来られた方々、一度立ち寄ってみてはいかがでしょうか??

ちょっと怖いですね。時代の波に揉まれて葬り去られた戦後復興の遺産です。・・・過去の賑わい今いずこ・・・

屋根は抜け落ちて、ほぼ廃墟・・・。なんか昭和30年代の日活映画のワンシーンみたいです。。

崩壊して危険なエリアも何カ所かあります。重機が入れず、解体もままならない感じです。

角材や板で応急処置がなされた状態で放置されてるか所も多いです。 「頭上注意」 の文字も。

一部現役の店舗もあり、明かりが灯るとノスタルジーな空気感が醸し出されます。

夜の商店街入り口・・・かなり不気味です。かつてこの商店街でひと旗揚げた先人達の亡霊が、挽歌を奏でてるような雰囲気です。

JR四日市駅北側に踏切にある、懐かしい「フジカラー」の看板。・・・デジタル時代になって、この看板も急速に消えつつあります。
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ダイヘンからのシキ180特大貨物出荷 (2013年夏編)
きょうは紀勢・参宮線の分岐点、多気にあるダイヘン専用線に行ってきました。
先日送り込まれたシキ180+ヨ8000編成の変圧器出荷がありました。・・・お盆期間中後半は連日出勤だったので、代休を今日に充てての出撃です。
朝9時前に汽笛が鳴り、時速10~20キロでそろりそろりと走ってきます。私は駅裏の田んぼで構えてましたが、通過時にムチャな徒歩追っかけのファン2名が線路わきに出てきて、思わず私も大きな声を上げる羽目になりました。
すぐにどいてくれたので事なきを得ましたが、こういう割り込み行為は本当に迷惑です。
さてさて、本題に戻りますが、このシキ出荷を駅周辺では約15名ほどのファンが炎天下の空の下カメラに収めました
1968(昭和43)年製の古参スイッチャーD351も、1965(昭和40)年製のシキ180も、これからも長生きしてほしいですね。

ダイヘン専用線から多気駅構内に向かうD351+ヨ8000+シキ180の変圧器輸送 (2013年8月22日)

大仕事を終えてダイヘン構内へ戻るD351。(2013年8月22日 10:04 )

草生した多気駅構内にて。・・・参宮・紀勢線は本州最後のC57の砦だったほか、多気支区もありましたが、かつての検修車庫は解体され、つわものどもが夢のあと・・・ですね。 (2013年8月22日)

多気に来たなら、ぜひ寄りたいのが、地元の有名スイーツ 「まつかさ餅 長新」 上品な黒糖あんが絶品です
先日送り込まれたシキ180+ヨ8000編成の変圧器出荷がありました。・・・お盆期間中後半は連日出勤だったので、代休を今日に充てての出撃です。
朝9時前に汽笛が鳴り、時速10~20キロでそろりそろりと走ってきます。私は駅裏の田んぼで構えてましたが、通過時にムチャな徒歩追っかけのファン2名が線路わきに出てきて、思わず私も大きな声を上げる羽目になりました。
すぐにどいてくれたので事なきを得ましたが、こういう割り込み行為は本当に迷惑です。
さてさて、本題に戻りますが、このシキ出荷を駅周辺では約15名ほどのファンが炎天下の空の下カメラに収めました
1968(昭和43)年製の古参スイッチャーD351も、1965(昭和40)年製のシキ180も、これからも長生きしてほしいですね。

ダイヘン専用線から多気駅構内に向かうD351+ヨ8000+シキ180の変圧器輸送 (2013年8月22日)

大仕事を終えてダイヘン構内へ戻るD351。(2013年8月22日 10:04 )

草生した多気駅構内にて。・・・参宮・紀勢線は本州最後のC57の砦だったほか、多気支区もありましたが、かつての検修車庫は解体され、つわものどもが夢のあと・・・ですね。 (2013年8月22日)

多気に来たなら、ぜひ寄りたいのが、地元の有名スイーツ 「まつかさ餅 長新」 上品な黒糖あんが絶品です
廃止から約2カ月。紀州製紙専用線の今
紀勢貨物が3月改正で廃止されてから約2カ月経ちました。
末期には毎日多くのギャラリーで賑わった鵜殿駅や、鵜殿から分岐する紀州製紙専用線は、今は訪れるファンもいません。・・・鵜殿駅舎はもう貨物扱い職員が出入りする事もなく、窓ガラスや出入り口も塞がれてます
専用線はレールの撤去こそまだ行われてないものの、錆びだらけで、もう2度と巡ってこない ”機関車と季節の草花との顔合わせ " の景色が残るだけです。スイッチャーは工場奥に留置中です。
やがてレールのあった場所も忘れ去られていくのでしょうね。

レールは錆びて、物悲しい風情です。鉄柵の奥にスイッチャーが留置されています (2013年5月10日撮影)

廃止前はこの踏切で撮影する人も多かったです。(2013年3月9日撮影)

もう2度と、この踏切をスイッチャーが営業運行で走ることはないでしょうね。 (2013年5月10日撮影)
末期には毎日多くのギャラリーで賑わった鵜殿駅や、鵜殿から分岐する紀州製紙専用線は、今は訪れるファンもいません。・・・鵜殿駅舎はもう貨物扱い職員が出入りする事もなく、窓ガラスや出入り口も塞がれてます
専用線はレールの撤去こそまだ行われてないものの、錆びだらけで、もう2度と巡ってこない ”機関車と季節の草花との顔合わせ " の景色が残るだけです。スイッチャーは工場奥に留置中です。
やがてレールのあった場所も忘れ去られていくのでしょうね。

レールは錆びて、物悲しい風情です。鉄柵の奥にスイッチャーが留置されています (2013年5月10日撮影)

廃止前はこの踏切で撮影する人も多かったです。(2013年3月9日撮影)

もう2度と、この踏切をスイッチャーが営業運行で走ることはないでしょうね。 (2013年5月10日撮影)
秘峡&廃墟探訪 : 旧国鉄 愛岐トンネル群 特別公開に行きました
何年か前から、秘峡駅や廃墟探訪がブームになって久しいですね。
そのひとつ。JR中央本線の旧ルート:愛岐トンネル群の2013年春の特別公開に行きました。www.geocities.co.jp/ag_tunnel/
毎回多賑わいだそうで、去年秋の公開では6日間で2万人弱の参加者があったようです。
JR定光寺駅付近から多治見駅に至る旧ルートで、トンネルの多い山岳ルートです。川のせせらぎを聞きながらの散策は、なかなか楽しかったです。

かつてデゴイチが駆け抜けた赤レンガのトンネル。短い区間に何カ所かこういったトンネルが連続しています。

散策のスタート地点はJR定光寺駅。1970(昭和45)年10月19日限りで無人化された山間の小駅です。

こちらは自宅にある定光寺駅の無人化前最終日の入場券。下の乗車券は、90年代中期まで駅近くの商店で委託販売してた乗車券。・・・いまは委託廃止で、駅は完全無人化です。

旧ルート廃線から40数年が経ち、線路跡には樹木が生い茂ります

トンネル内は狭く薄暗く、ひんやりします。

このトンネルは、入り口上部に大きな蜂の巣が・・・

天井や壁面から、湧水が染み出しています

懐中電灯を手に、トンネルをくぐります。

散策コースのあちこちで、催事をやってて賑わってました。

なかなか楽しかったです。
そのひとつ。JR中央本線の旧ルート:愛岐トンネル群の2013年春の特別公開に行きました。www.geocities.co.jp/ag_tunnel/
毎回多賑わいだそうで、去年秋の公開では6日間で2万人弱の参加者があったようです。
JR定光寺駅付近から多治見駅に至る旧ルートで、トンネルの多い山岳ルートです。川のせせらぎを聞きながらの散策は、なかなか楽しかったです。

かつてデゴイチが駆け抜けた赤レンガのトンネル。短い区間に何カ所かこういったトンネルが連続しています。

散策のスタート地点はJR定光寺駅。1970(昭和45)年10月19日限りで無人化された山間の小駅です。

こちらは自宅にある定光寺駅の無人化前最終日の入場券。下の乗車券は、90年代中期まで駅近くの商店で委託販売してた乗車券。・・・いまは委託廃止で、駅は完全無人化です。

旧ルート廃線から40数年が経ち、線路跡には樹木が生い茂ります

トンネル内は狭く薄暗く、ひんやりします。

このトンネルは、入り口上部に大きな蜂の巣が・・・

天井や壁面から、湧水が染み出しています

懐中電灯を手に、トンネルをくぐります。

散策コースのあちこちで、催事をやってて賑わってました。

なかなか楽しかったです。
懐かしの石原産業専用線 (2008年廃止) その②
2008年に廃止された石原産業専用線の画像をまたまたUPいたします。
今回は石原産業専用線廃止直前まで活躍してたスイッチャー (その後鵜殿紀州製紙へ転属し、先日まで活躍)の画像ではなく、別モノです。・・旧いほうのスイッチャーの画像です。
・・・そういえばこのスイッチャーとそっくりのが鵜殿の紀州製紙敷地の奥に留置されたましたが、・・・もしやこれだったのかも??

こちらは出荷基地の画像。踏切から望遠で撮影。・・・いまはもうレールのあった面影すら残っていません。

ジャングルを抜けて関西本線塩浜支線の塩浜駅に向かいます

けっこうこんなジャングルが続いてて、距離が長い割には開けたポイントは少なかったです。

まもなく終点です。隣の線路は昭和四日市石油の専用線で、いまも松本行きのタキ編成が行き来しています。
今回は石原産業専用線廃止直前まで活躍してたスイッチャー (その後鵜殿紀州製紙へ転属し、先日まで活躍)の画像ではなく、別モノです。・・旧いほうのスイッチャーの画像です。
・・・そういえばこのスイッチャーとそっくりのが鵜殿の紀州製紙敷地の奥に留置されたましたが、・・・もしやこれだったのかも??

こちらは出荷基地の画像。踏切から望遠で撮影。・・・いまはもうレールのあった面影すら残っていません。

ジャングルを抜けて関西本線塩浜支線の塩浜駅に向かいます

けっこうこんなジャングルが続いてて、距離が長い割には開けたポイントは少なかったです。

まもなく終点です。隣の線路は昭和四日市石油の専用線で、いまも松本行きのタキ編成が行き来しています。