引退から20年 キハ82型特急気動車 その②

1995 (平成7)年のリバイバル運転を最後に鉄路を去ったキハ82系ですが、定期運用を離脱したのは1992(平成4)年春のダイヤ改正。もう約四半世紀も経ちました。

最後の夏となった1991年、まだ社会人になって間もない頃でしたが、私もよく撮りに出掛けたものです。25年前、沿線の駅は津・松阪・多気・三瀬谷・紀伊長島・尾鷲・熊野市の7駅のみ駅員配置で、一身田・高茶屋・三木里・賀田・新鹿が簡易委託駅でした。

80年代初めは、亀山~新宮間は約40駅全部が駅員配置だった事を考えると、25年前でさえかなりの凋落ぶりでしたが、これが今や間委託駅はすべて完全無人化となり、三瀬谷駅も無人化され、紀勢東線は完全な衰退ローカル線となっています。

沿線にも当時は豊かな水田が数多くありましたが、耕作放棄地が増え、いまはもう撮影できなくなった所もあります。こうして昔の画像を盛ると、何とも切ない気分になります。

新鹿~波田須

棚田と海が一緒に写る有名な “波田須カーヴ” をゆくキハ82系。ココも今はもう荒れ地になって面影はありません。  3001D 紀勢本線:新鹿~波田須  (1991年8月15日)

910816 3003D 多気~相可

キロ80を2両組み込んだ7連の「南紀」。当時はキロ2両の豪華編成で走る事は多かったです。  3003D 紀勢本線:多気~相可  (1991年8月16日)

大内山~梅が谷

大内山のカーヴも、当時は青々とした水田がありました。通常4連の短い編成ですが、多客期は6~8連で走りました。  3001D 紀勢本線:大内山~梅ヶ谷  (1991年8月16日)

910505 高茶屋-1

高茶屋駅でのキハ82同士の交換風景。画像右端にあるように、当時はローカル駅ながらもコンテナターミナルがあり、荷扱いをしていました。  紀勢本線 : 高茶屋駅 (1991年5月6日)
  

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引退から20年 キハ82型特急気動車 その①

歴史的名車、キハ82型が完全引退してからもうまもなく20年になろうとしています。

活躍末期の90年代初頭、最後に残ったのは苗穂運転区の6両と、名古屋車両区の50両でしたが、引退秒読みになり、ここから1両、また1両と姿を消していきました。

特急仕業から退いたのは1992(平成4)年のGW、JR北海道で「北斗82・85号」としての活躍が最後。以降、北海道ではもう観られなくなりました。

JR北海道よりも2カ月早く、1992(平成4)年3月改正でキハ82が特急仕業を降りたJR東海では、その後も波動輸送用に温存されたキハ82が臨時列車や、ナゴヤ球場観客輸送用として1994年秋まで活躍、その後1995(平成7)年1月に、「メモリアル南紀号」 として最後の運転が行われました。

昔撮った画像で、少し振り返ってみましょう。

891103 川添

交換待ちで並ぶキハ82「南紀」。  紀勢本線:川添駅  (1989年11月3日)

910519 栃原~川添

お手頃撮影地として昔よく賑わった場所です。  紀勢本線:栃原~川添  (1991年5月19日)

9100503 三瀬谷~川添

トレインマーク未掲出で走ってきました。  紀勢本線:三瀬谷~川添  (1991年5月3日)

9106 栃原~佐奈

お茶どころとして有名な奥伊勢大台地区らしい風景で撮ってみました。・・・いまはもう茶畑は荒れ地になってますが・・・。  紀勢本線:栃原~佐奈 (1991年5月22日)

910503 川添~栃原

キハ82撮影の合間に、こんなのが1日何本も走ってました。パノラミックウィンドに白Hゴム・スリット型タイフォンカバーの端正な顔立ちのキハ65鈍行です。  紀勢本線:栃原~佐奈  (1991年5月3日)
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レイルファンにっしー

Author:レイルファンにっしー
週末中心にお出掛けの既婚会社員です。子供時代の1980年代からの現在に至る鉄道趣味記録をアップしていきます。

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