名鉄美濃町線 : 新関~美濃間廃止から15年です。
名鉄の600V区間、美濃町線は2005(平成17)年4月1日に、徹明町~関間18.8kmが全線が廃止され、明治末期からの「岐阜のチンチン電車」としての歴史にピリオドが打たれました。
それに先だって1999(平成11)年4月1日に、末端区間の新関~美濃間6.3kmが部分廃止され15年の月日が流れました
当時の線路跡の多くは土に還ったり、区画整理などで消えつつありますが、終点の「旧:美濃駅」は当時のままの姿で保存され、駅構内は架線こそ外されたものの、ホームや車両は当時のまま保存され、大変好ましい風情です。
暖かくなったこの時期、うだつの上がる美濃の旧街道の街並みを見物しながら、旧美濃駅を訪問してみるのもいいかもしれませんね。

さよなら運転では、この区間専用の591号と593号の2両が、増発ダイヤで多くのお客さんを運びました。 名鉄美濃町線:神光寺 (1999年3月31日)

591号を撮影。 名鉄美濃町線:松森~神光寺にて。 (1999年3月31日)

夕闇せまる中、最後に撮ったカットです名鉄美濃町線:下有知~新関にて。 (1999年3月31日)

名鉄美濃町線:松森~神光寺にて。この593号は、ツートンカラーに戻って2005年まで生き残り、現在は旧:美濃駅に保存されています。 (1999年3月31日)

自宅にある美濃駅最終日の硬券切符。複合機等もちろん無かったこの駅は、きっぷファンにも注目の的でした

旧:美濃駅は、往時の姿そのままに一般公開されていて、お弁当を広げたり、のんびりとここでスケッチや撮影を楽しむ事が出来ます。 旧美濃駅構内 (2014年1月25日)
それに先だって1999(平成11)年4月1日に、末端区間の新関~美濃間6.3kmが部分廃止され15年の月日が流れました
当時の線路跡の多くは土に還ったり、区画整理などで消えつつありますが、終点の「旧:美濃駅」は当時のままの姿で保存され、駅構内は架線こそ外されたものの、ホームや車両は当時のまま保存され、大変好ましい風情です。
暖かくなったこの時期、うだつの上がる美濃の旧街道の街並みを見物しながら、旧美濃駅を訪問してみるのもいいかもしれませんね。

さよなら運転では、この区間専用の591号と593号の2両が、増発ダイヤで多くのお客さんを運びました。 名鉄美濃町線:神光寺 (1999年3月31日)

591号を撮影。 名鉄美濃町線:松森~神光寺にて。 (1999年3月31日)

夕闇せまる中、最後に撮ったカットです名鉄美濃町線:下有知~新関にて。 (1999年3月31日)

名鉄美濃町線:松森~神光寺にて。この593号は、ツートンカラーに戻って2005年まで生き残り、現在は旧:美濃駅に保存されています。 (1999年3月31日)

自宅にある美濃駅最終日の硬券切符。複合機等もちろん無かったこの駅は、きっぷファンにも注目の的でした

旧:美濃駅は、往時の姿そのままに一般公開されていて、お弁当を広げたり、のんびりとここでスケッチや撮影を楽しむ事が出来ます。 旧美濃駅構内 (2014年1月25日)
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清水港線廃線から30年。
今から30年前の1984(昭和59)年3月31日をもって、東海道本線:清水から分岐する「清水港線」が廃止されました。1日たった1往復のみの、それも客車列車という運行形態でした。
当時ちょうど学校の春休みでもあり、18きっぷで撮りに行きました。
この1984年の3月末は、宮古線・久慈線・盛線も廃止 (これらは現:三陸鉄道北リアス・南リアス線として存続) され、新潟の魚沼線・赤谷線も廃止、福島の日中線も廃止と、同時にいくつかのローカル線が消滅しました。
前年の白糠線(北海道)廃止をスタートに、第2次地方交通線廃止が本格化したのはこの頃からでしたね。

最初で最後の清水港線訪問でした。DD13がサヨナラマークを付けて走ってました 清水港線:清水港~清水(1984年3月25日)

スハフ42にもマークが付けられました。客車右側には腕木式信号機もみられます。 清水港線:清水港~清水(1984年3月25日)

スハフ42に付いてたこのサボも間もなく見おさめとなりました。 清水港線:清水(1984年3月25日)

清水港線用のスハフ42型5両のうち、2両は大井川鐡道に譲渡され、上の画像のスハフ422286は、元番号のスハフ42286に戻っていまも活躍中です。 大井川鐡道:新金谷車両区 (2013年6月22日)

久慈線・宮古線・盛線が廃止・3セク化されたのも清水港線廃止と同じ日。当時これらの路線の中間駅には硬券入場券のある駅がなく、起点駅の入場券をご紹介です。

赤谷線・魚沼線も同じくして廃止されました。それぞれの駅の入場券の画像です。
当時ちょうど学校の春休みでもあり、18きっぷで撮りに行きました。
この1984年の3月末は、宮古線・久慈線・盛線も廃止 (これらは現:三陸鉄道北リアス・南リアス線として存続) され、新潟の魚沼線・赤谷線も廃止、福島の日中線も廃止と、同時にいくつかのローカル線が消滅しました。
前年の白糠線(北海道)廃止をスタートに、第2次地方交通線廃止が本格化したのはこの頃からでしたね。

最初で最後の清水港線訪問でした。DD13がサヨナラマークを付けて走ってました 清水港線:清水港~清水(1984年3月25日)

スハフ42にもマークが付けられました。客車右側には腕木式信号機もみられます。 清水港線:清水港~清水(1984年3月25日)

スハフ42に付いてたこのサボも間もなく見おさめとなりました。 清水港線:清水(1984年3月25日)

清水港線用のスハフ42型5両のうち、2両は大井川鐡道に譲渡され、上の画像のスハフ422286は、元番号のスハフ42286に戻っていまも活躍中です。 大井川鐡道:新金谷車両区 (2013年6月22日)

久慈線・宮古線・盛線が廃止・3セク化されたのも清水港線廃止と同じ日。当時これらの路線の中間駅には硬券入場券のある駅がなく、起点駅の入場券をご紹介です。

赤谷線・魚沼線も同じくして廃止されました。それぞれの駅の入場券の画像です。
愛知区DD51原色重連 (2014年3月編)
この3月も、前半と後半で数日でしたが原色重連が登場しました。今回は852号と899号のペアです。
先日、原色機847号がついに運用離脱かと思われる動きがあった・・との情報を地元鉄仲間の方から聞き、ちょっと残念です。凸原色重連をみられるチャンスはますます減っていきますね。
また847号を偲ぶ画像も後日貼ってみたいと思います。

出勤前にちょいと撮影です。麦畑も青々と育ってますね。 5271レ 関西本線:長島~桑名 (2014年3月28日)

こちらは5282レ。 関西本線:四日市~富田浜

1コマ目の5271レの続きです。お立ち台には約20人ものファンが集まり、長野や千葉・奈良など、他府県ナンバーの方々も多かったです。 関西本線:富田浜~四日市

冬場はバルブ撮影となる6286レ。陽が長くなって、手持ちで撮れるようになりました。 関西本線塩浜支線:塩浜駅

田んぼに水が張られた頃に、また原色重連実現してほしいですね。 72レ 関西本線:四日市~富田浜
先日、原色機847号がついに運用離脱かと思われる動きがあった・・との情報を地元鉄仲間の方から聞き、ちょっと残念です。凸原色重連をみられるチャンスはますます減っていきますね。
また847号を偲ぶ画像も後日貼ってみたいと思います。

出勤前にちょいと撮影です。麦畑も青々と育ってますね。 5271レ 関西本線:長島~桑名 (2014年3月28日)

こちらは5282レ。 関西本線:四日市~富田浜

1コマ目の5271レの続きです。お立ち台には約20人ものファンが集まり、長野や千葉・奈良など、他府県ナンバーの方々も多かったです。 関西本線:富田浜~四日市

冬場はバルブ撮影となる6286レ。陽が長くなって、手持ちで撮れるようになりました。 関西本線塩浜支線:塩浜駅

田んぼに水が張られた頃に、また原色重連実現してほしいですね。 72レ 関西本線:四日市~富田浜
青春18きっぷ
3月も後半、青春18きっぷの時期となりました
鉄道ファンのみならず、多くの方々の支持を受けて30有余年、ロングセラーの企画乗車券ですね。
私もガキ鉄時代以降、繁忙期には利用しています。しかし昔のように長距離鈍行や夜行快速が絶滅状態の今、この切符の有効活用の選択肢も少なくなりましたが、それでも安価で丸1日利用できるのはありがたい限りですね。

青春18きっぷと言えば、30代以降の世代には懐かしい「大垣夜行」。 東京~大垣を結ぶ現:臨時快速「ムーンライトながら」の前身で、繁忙期には救済列車の増便もありました 東海道本線:名古屋 (1997年12月20日)

グリーン車 (サロ165型) を連結し、1860円を追加するだけで、フルリクライニングでの快適な旅となりました。私もG車派でした。 (1994年1月14日)

自宅にある、青春18きっぷの前身:「青春18のびのびきっぷ」 (4枚つづり8000円) 1982 (昭和57年)春の発売です

青春18のびのびきっぷの1日券 1冊に3枚付いていました。

2日間有効の切符が最後に付いていました。

1982(昭和58)年からは名称を 「青春18きっぷ」に変更。5枚つづりで10000円となりました。

1~4枚目は赤地紋印刷の1日券でした。18きっぷは現在では殆どが複合機で発券されていますが、JR西日本とJR四国の一部の駅では、いまも懐かしい赤地紋の常備券を入手できます。

5枚目は青地紋の2日券でした。

18きっぷやワイド周遊券で客車列車乗りつぶし&撮影なんていう贅沢旅がふつうにできたのも懐かしいです。いま客車列車に乗ろうとすると、座席指定券が要る時代ですね。 1549レ 東北本線:平泉~前沢 (1994年10月10日)

懐かしさを感じるオハフ51系客車の車内。ガタゴトと心地よい揺れを感じながら、駅弁や冷凍みかんをパクつくのは至福のひと時でした。 1538レ (1994年10月10日)
鉄道ファンのみならず、多くの方々の支持を受けて30有余年、ロングセラーの企画乗車券ですね。
私もガキ鉄時代以降、繁忙期には利用しています。しかし昔のように長距離鈍行や夜行快速が絶滅状態の今、この切符の有効活用の選択肢も少なくなりましたが、それでも安価で丸1日利用できるのはありがたい限りですね。

青春18きっぷと言えば、30代以降の世代には懐かしい「大垣夜行」。 東京~大垣を結ぶ現:臨時快速「ムーンライトながら」の前身で、繁忙期には救済列車の増便もありました 東海道本線:名古屋 (1997年12月20日)

グリーン車 (サロ165型) を連結し、1860円を追加するだけで、フルリクライニングでの快適な旅となりました。私もG車派でした。 (1994年1月14日)

自宅にある、青春18きっぷの前身:「青春18のびのびきっぷ」 (4枚つづり8000円) 1982 (昭和57年)春の発売です

青春18のびのびきっぷの1日券 1冊に3枚付いていました。

2日間有効の切符が最後に付いていました。

1982(昭和58)年からは名称を 「青春18きっぷ」に変更。5枚つづりで10000円となりました。

1~4枚目は赤地紋印刷の1日券でした。18きっぷは現在では殆どが複合機で発券されていますが、JR西日本とJR四国の一部の駅では、いまも懐かしい赤地紋の常備券を入手できます。

5枚目は青地紋の2日券でした。

18きっぷやワイド周遊券で客車列車乗りつぶし&撮影なんていう贅沢旅がふつうにできたのも懐かしいです。いま客車列車に乗ろうとすると、座席指定券が要る時代ですね。 1549レ 東北本線:平泉~前沢 (1994年10月10日)

懐かしさを感じるオハフ51系客車の車内。ガタゴトと心地よい揺れを感じながら、駅弁や冷凍みかんをパクつくのは至福のひと時でした。 1538レ (1994年10月10日)
紀勢貨物廃止からちょうど1年
ちょうど1年前の2013年3月16日をもって、多くのファンを魅了した紀勢貨物が伝説のかなたに旅立ちました。
1年たってもまだ私は当時を懐かしくまだ昨日の事に様に感じています。
あれ以来、DD51の紀勢本線入線は、多気駅までの変圧器輸送で夜間に数回実現したに過ぎません・・・。
季節がめぐり、月日が過ぎても、紀勢本線の新宮以東にはもうDD51による昼間の貨物列車や臨時客車列車などが入線することはありません。あらためて、「もう1年かぁ~・・・早いもんだなあ~」 としみじみ感じてしまいます。

2008年春までは、重連で運行されてましたが、このカットは私が原色重連を撮った最後のカットです。 3161レ 紀勢本線:阿曽~伊勢柏崎 (2007年8月19日)

曇天限定の宮川鉄橋にて。 2089レ 紀勢本線:三瀬谷~滝原 (2010年7月4日)

こちらは深夜の四日市バルブ撮影。愛知区に里帰りしてほしい現:門司区のナゴマルさんです。 2089レ 関西本線:四日市 (2009年2月24日)

廃止間近には、昼下がりに鵜殿駅でコンテナ編成を見物する方々も居られました。 紀勢本線:鵜殿 (2013年3月9日)

青&茶ワム時代の紀勢貨物。更新機が台頭する21世紀初頭までは毎日原色重連でした。 3161レ 紀勢本線:栃原~川添 (1991年7月24日)

こんなのが毎日走ってたのも懐かしい思い出です。1994年からはコンテナ化されました。 3161レ 紀勢本線:阿曽~伊勢柏崎 (1991年5月22日)
1年たってもまだ私は当時を懐かしくまだ昨日の事に様に感じています。
あれ以来、DD51の紀勢本線入線は、多気駅までの変圧器輸送で夜間に数回実現したに過ぎません・・・。
季節がめぐり、月日が過ぎても、紀勢本線の新宮以東にはもうDD51による昼間の貨物列車や臨時客車列車などが入線することはありません。あらためて、「もう1年かぁ~・・・早いもんだなあ~」 としみじみ感じてしまいます。

2008年春までは、重連で運行されてましたが、このカットは私が原色重連を撮った最後のカットです。 3161レ 紀勢本線:阿曽~伊勢柏崎 (2007年8月19日)

曇天限定の宮川鉄橋にて。 2089レ 紀勢本線:三瀬谷~滝原 (2010年7月4日)

こちらは深夜の四日市バルブ撮影。愛知区に里帰りしてほしい現:門司区のナゴマルさんです。 2089レ 関西本線:四日市 (2009年2月24日)

廃止間近には、昼下がりに鵜殿駅でコンテナ編成を見物する方々も居られました。 紀勢本線:鵜殿 (2013年3月9日)

青&茶ワム時代の紀勢貨物。更新機が台頭する21世紀初頭までは毎日原色重連でした。 3161レ 紀勢本線:栃原~川添 (1991年7月24日)

こんなのが毎日走ってたのも懐かしい思い出です。1994年からはコンテナ化されました。 3161レ 紀勢本線:阿曽~伊勢柏崎 (1991年5月22日)
東海道EF58定期運用終了から30年・・・。
今から30年前の、1984(昭和59)年3月末で、天下の東海道本線から名車:EF58型直流機が定期運用の座を退きました。
定期運用といっても、旅客定期は既に電車やEF65PFにその座を譲り、地味な荷物列車運用でしたが・・・
東海道のEF58荷物列車といえば、冬場は蒸気暖房(SG)のスチームを勢いよく噴き上げて走行する勇ましい姿が印象的でした。他の幹線に比べて、EG(電気暖房)化が遅れていた東海道本線だったからこそEF58が生き延びた部分はありますが、とうとう終焉を迎え、EF62と交代しました。
ただ、EG化で後継機として台頭したEF62も車年齢20年を超えてて、しかもゴハチのような平坦線区でのロングラン高速運転が苦手だった事もあり故障が頻発、国鉄分割民営化を前に、あっけなく3年程度でその任務を降りました。
まだ当時はガキ鉄時代だったため、あまり撮れませんでしたが、その一部をご紹介です。

雪の伊吹山バックに走るEF5844(宮) 東海道本線:近江長岡~醒ヶ井 (1984年2月11日)

こちらも伊吹山バックのEF58157(浜) 東海道本線:近江長岡~柏原 (1984年2月11日)

1980年代半ばまで、東海道本線の関ヶ原除雪は、なんと戦前製のキ550型が、EF60に牽かれて担当してました。 東海道本線:大垣駅 (1984年2月11日)

屋根から蒸気を噴き上げる冬のEF58が、格好のバルブ撮影対象でした。 荷33レ 東海道本線:名古屋 (1982年12月19日)

こちらも蒸気を吹くかつてロクイチと人気を二分したEF5860(浜)。晩年は地味な荷物運用にまわり、この撮影の4カ月後に廃車されました。 荷2030レ 東海道本線:名古屋 (1983年1月15日)
定期運用といっても、旅客定期は既に電車やEF65PFにその座を譲り、地味な荷物列車運用でしたが・・・
東海道のEF58荷物列車といえば、冬場は蒸気暖房(SG)のスチームを勢いよく噴き上げて走行する勇ましい姿が印象的でした。他の幹線に比べて、EG(電気暖房)化が遅れていた東海道本線だったからこそEF58が生き延びた部分はありますが、とうとう終焉を迎え、EF62と交代しました。
ただ、EG化で後継機として台頭したEF62も車年齢20年を超えてて、しかもゴハチのような平坦線区でのロングラン高速運転が苦手だった事もあり故障が頻発、国鉄分割民営化を前に、あっけなく3年程度でその任務を降りました。
まだ当時はガキ鉄時代だったため、あまり撮れませんでしたが、その一部をご紹介です。

雪の伊吹山バックに走るEF5844(宮) 東海道本線:近江長岡~醒ヶ井 (1984年2月11日)

こちらも伊吹山バックのEF58157(浜) 東海道本線:近江長岡~柏原 (1984年2月11日)

1980年代半ばまで、東海道本線の関ヶ原除雪は、なんと戦前製のキ550型が、EF60に牽かれて担当してました。 東海道本線:大垣駅 (1984年2月11日)

屋根から蒸気を噴き上げる冬のEF58が、格好のバルブ撮影対象でした。 荷33レ 東海道本線:名古屋 (1982年12月19日)

こちらも蒸気を吹くかつてロクイチと人気を二分したEF5860(浜)。晩年は地味な荷物運用にまわり、この撮影の4カ月後に廃車されました。 荷2030レ 東海道本線:名古屋 (1983年1月15日)
愛知:師崎の菜の花と、春吹雪のDD51原色重連
3月も中旬。陽も長くなり天気のいい日は暖かさを感じますね。
でも戻り寒波と暖かい日が交互に来るのもこの時期の特色。それに花粉症の時期でもありますね。(私は平気ですが)
各地で菜の花も満開。鉄道と絡めたいですが、とりあえずこの日は菜の花のみメインで、愛知県南知多町の師崎へ、菜の花を観に行きました。
丘の上に菜の花畑が広がり、自生種モノとは違って、かなり茎も太くしっかりして大粒の花です。拝観料400円で、袋とハサミを受け取り、いっぱいお持ち帰りをして、花は玄関に飾り、つぼみは炒めて食卓に上がりました。
春の景色を満喫したかと思えば、またもやこの週は戻り寒波ですね~。
せっかく実現した愛知区のDD51原色重連でしたが、吹雪になってしまいました。

なかなか壮観でした。奥のほうに観光客の方々が小さい粒になってますね。 師崎観光農園花ひろば (2013年3月8日)

春の吹雪で、またまた冬に逆戻りでしょうか?? DD51847+DD51899 72レ 関西本線:四日市~富田浜
でも戻り寒波と暖かい日が交互に来るのもこの時期の特色。それに花粉症の時期でもありますね。(私は平気ですが)
各地で菜の花も満開。鉄道と絡めたいですが、とりあえずこの日は菜の花のみメインで、愛知県南知多町の師崎へ、菜の花を観に行きました。
丘の上に菜の花畑が広がり、自生種モノとは違って、かなり茎も太くしっかりして大粒の花です。拝観料400円で、袋とハサミを受け取り、いっぱいお持ち帰りをして、花は玄関に飾り、つぼみは炒めて食卓に上がりました。
春の景色を満喫したかと思えば、またもやこの週は戻り寒波ですね~。
せっかく実現した愛知区のDD51原色重連でしたが、吹雪になってしまいました。

なかなか壮観でした。奥のほうに観光客の方々が小さい粒になってますね。 師崎観光農園花ひろば (2013年3月8日)

春の吹雪で、またまた冬に逆戻りでしょうか?? DD51847+DD51899 72レ 関西本線:四日市~富田浜
東京都心にデゴイチ走る。 「みちのくSLギャラクシー号」 試運転
大都会:東京都心で久々の大型SLの運転がありました。2003年暮れの「あゝ上野駅号」以来です。
フジテレビが企画した、「みちのくSLギャラクシー号」の締めくくりで、東北本線:尾久~上野間のみをデゴイチに牽かせるカタチでしたが、きょう3/8(土)の上野界隈は全国からファンが集まった事でしょう。
私は本運転はヘッドマークが付いてしまうために遠慮させていただき、マークの付かない試運転のほうのみ撮りました。
デゴイチ登板の尾久~上野間はたったの4.8キロ。この区間にはおまわりさん・鉄道警察隊・警備会社・JR東日本職員の方々が大勢配備され、並々ならぬ厳戒態勢となり、鉄道陸橋のいくつかは封鎖され、駅ホームは3メートルおきに1人の係員が立って監視するという異常事態でした。
・・・上野にSLというと、故:井沢八郎さんのヒット曲「あゝ上野駅」が思い起こされますね。
今からちょうど50年前、東京オリンピックの開催された1964(昭和39)年にこの曲は発売、集団就職で東京にやってきた方々に強く支持された名曲ですが、「みちのくSLギャラクシー」で当時を懐かしく思いだされたご年配の方々もきっと多かったでしょう。
あすは日曜日です。SLは尾久運転区で展示が行われます。
私は撮りませんが、早起きしてリビングでコーヒーでも飲みながら、「Always3丁目の夕日」のDVDでも観て、SL撮影の余韻を楽しみたいと思います。

試運転は、デゴイチ+オヤ12+EF65501で行われました。 試9010レ : 東北本線:日暮里~鶯谷 (2014年3月7日)

お馴染みの鶯谷駅ホームにて。高層ビル街を走るSLも画になりますね。 試9015レ : 鶯谷~日暮里(後打ち撮影) (201年3月7日)

EF65501が先頭のこちらもなかなか味わいある組み合わせですね。 試9011レ : 鶯谷~日暮里 (2014年3月7日)
フジテレビが企画した、「みちのくSLギャラクシー号」の締めくくりで、東北本線:尾久~上野間のみをデゴイチに牽かせるカタチでしたが、きょう3/8(土)の上野界隈は全国からファンが集まった事でしょう。
私は本運転はヘッドマークが付いてしまうために遠慮させていただき、マークの付かない試運転のほうのみ撮りました。
デゴイチ登板の尾久~上野間はたったの4.8キロ。この区間にはおまわりさん・鉄道警察隊・警備会社・JR東日本職員の方々が大勢配備され、並々ならぬ厳戒態勢となり、鉄道陸橋のいくつかは封鎖され、駅ホームは3メートルおきに1人の係員が立って監視するという異常事態でした。
・・・上野にSLというと、故:井沢八郎さんのヒット曲「あゝ上野駅」が思い起こされますね。
今からちょうど50年前、東京オリンピックの開催された1964(昭和39)年にこの曲は発売、集団就職で東京にやってきた方々に強く支持された名曲ですが、「みちのくSLギャラクシー」で当時を懐かしく思いだされたご年配の方々もきっと多かったでしょう。
あすは日曜日です。SLは尾久運転区で展示が行われます。
私は撮りませんが、早起きしてリビングでコーヒーでも飲みながら、「Always3丁目の夕日」のDVDでも観て、SL撮影の余韻を楽しみたいと思います。

試運転は、デゴイチ+オヤ12+EF65501で行われました。 試9010レ : 東北本線:日暮里~鶯谷 (2014年3月7日)

お馴染みの鶯谷駅ホームにて。高層ビル街を走るSLも画になりますね。 試9015レ : 鶯谷~日暮里(後打ち撮影) (201年3月7日)

EF65501が先頭のこちらもなかなか味わいある組み合わせですね。 試9011レ : 鶯谷~日暮里 (2014年3月7日)
ローリングストーンズの東京ドーム公演2014に行きました。
3/4(火)は東京ドームで、ローリングストーンズ8年ぶりの来日公演を観ました。
メンバー4人の平均年齢は70歳前。おそらく最後の来日公演でしょうね。気合い入れて見に行ってきました。
いや~やっぱサイコーですね。1曲目「Start Me Up」で始まり「Satisfaction」で締めくくりの内容でしたが、何回見てもいいモンですね・・・└(●^□^●)┘。
今回は元メンバーのミック・テイラーがゲスト参加でしたが、スリムな体形の4人と比較するとかなり太っちょメタボで、一見するとなんだかELPのグレッグ・レイクみたいでしたが・・・??
私は昔からローリングストーンズが好きで、けっこうギター弾ける曲も何曲かありますが、私が使うのはキースやロンが主に使用してるストラトキャスタータイプではなく、レスポールなんですけどね。
ステージ狭しと動き回るミック・ジャガー(70)も圧巻でした。今回自分のチケットの席は「参加券」と呼ばれる追加枠を購入したんですけど、なんとアリーナ1列目の真横のスタンド席で、どアップでした。
満足満足で帰宅しました。

東京ドーム前は観客でごったがえしてます。長方形のストーンズの看板もありますね。 (2014年3月4日)

無料配布してたチラシからのコピーです。最近このカットをよく目にしますね。左からチャーリー・ワッツ(Ds 72) キース・りチャーズ(G 70) ミック・ジャガー(Vo 70) ロン・ウッド(G 69)

今回のツアーパンフと、ぴあクリアファイルです。

こちらは私がまだ社会人になる前の1990年に東京ドームで観た初来日公演のツアーパンフ。

ついでに東京駅でサンライズ出雲/瀬戸を撮りました (2014年3月4日)
メンバー4人の平均年齢は70歳前。おそらく最後の来日公演でしょうね。気合い入れて見に行ってきました。
いや~やっぱサイコーですね。1曲目「Start Me Up」で始まり「Satisfaction」で締めくくりの内容でしたが、何回見てもいいモンですね・・・└(●^□^●)┘。
今回は元メンバーのミック・テイラーがゲスト参加でしたが、スリムな体形の4人と比較するとかなり太っちょメタボで、一見するとなんだかELPのグレッグ・レイクみたいでしたが・・・??
私は昔からローリングストーンズが好きで、けっこうギター弾ける曲も何曲かありますが、私が使うのはキースやロンが主に使用してるストラトキャスタータイプではなく、レスポールなんですけどね。
ステージ狭しと動き回るミック・ジャガー(70)も圧巻でした。今回自分のチケットの席は「参加券」と呼ばれる追加枠を購入したんですけど、なんとアリーナ1列目の真横のスタンド席で、どアップでした。
満足満足で帰宅しました。

東京ドーム前は観客でごったがえしてます。長方形のストーンズの看板もありますね。 (2014年3月4日)

無料配布してたチラシからのコピーです。最近このカットをよく目にしますね。左からチャーリー・ワッツ(Ds 72) キース・りチャーズ(G 70) ミック・ジャガー(Vo 70) ロン・ウッド(G 69)

今回のツアーパンフと、ぴあクリアファイルです。

こちらは私がまだ社会人になる前の1990年に東京ドームで観た初来日公演のツアーパンフ。

ついでに東京駅でサンライズ出雲/瀬戸を撮りました (2014年3月4日)