懐かしの米原機関区

東海道本線と北陸本線が繋がる交通の要衝 : JR米原駅には、国鉄末期まで広大な敷地の 「米原機関区 」がありました

今では電車留置線が何本か残るだけで、旧:機関区の敷地の殆どが更地となり、往時を偲ぶ遺構も土に還りつつあります。

かつて米原機関区だったころ、少年時代の私も何度か訪れた事がありましたが、数多くの電機機関車やディーゼル機関車、旧型客車などを配置し、ターンテーブルや大型車庫もありました

1974(昭和49)年に湖西線が開業して以来、多くの優等列車が米原を通らなくなり、少しずつ界隈はさびれていき、1983(昭和58)年には米原~田村の交流・直流変換デッドセクションも廃止され、そして旅客列車の電車化や貨物大削減で機関車たちも仕事を失い、徐々に機関区としての機能を失っていきました。

EF58が定期運用引退間近1980年代前半、米原機関区は鉄道ファンに好意的な機関区でした。

機関区事務所で 「見学受付」 をすると、腕章を受け取り、構内を自由に撮影できたのです。・・・受付ノートに「学校名」 「住所氏名」 「両親の名前と職業」 などを記入し、帰り際には、「キミは何年生だ?デンシャもいいけど、ちゃんと勉強せにゃならんぞ」 と、よく言われたものでした。・・・時にはお茶やコーヒーを出してくれる事も。

今となっては懐かしい想い出のひとつです。

830130 米原

機関区で待機中のEF58とEF81。ゴハチの背後の建物で「見学申し込み」をすれば誰でも気軽に構内に入れました。  (1983年1月30日)

840805 米原機関区EF58並び

東海道からEF58が勇退した後、米原機関区で開催されたイヴェントの1コマ。自宅に郵便で案内状が届き、夏休みの楽しいひと時を過ごしました。  (1984年8月5日)

840805 米原 EF5836日本海-2

側窓が7枚ある異端機として大人気のEF5836号。つらら切り取り付け・運転台側窓Hゴム化・前面窓Hゴム化・ヨロイ式側面フィルタ・テールランプ外はめ改造・はしご切り欠け・P型改造ジャンパ栓・・・形態の乱れ具合は横綱級でした  (1984年8月5日)

840805 米原機関区DE10-2

米原~田村の交流・直流デッドセクション廃止時に、つなぎ役だったDE10が定期運用を降り、さよならマークがつきましたが、このイヴェントで特別にヘッドマークを再装着となりました。  (1984年8月5日)

IMG_0004-3.jpg

こちらはDE10配置前にデッドセクションで活躍したDD50。 他の方からご頒布戴いたネガの画像です。1954(昭和29)年に誕生した電気式ディーゼル機関車で、2両1組。計6両の小世帯でした。昭和49年に引退し、米原機関区の片隅に暫く留置されていたようです。  (1975年2月)

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米原~田村のデッドセクション廃止から30年以上経ち、田村駅構内は真ん中の機関車留置線が撤去され、がらんと空いてしまいました。  北陸本線 : 田村駅  (2015年6月2日)

DSC_4030.jpg

戦前からの駅舎が今も活躍中の田村駅。比較的早く無人化され、窓口営業は1971(昭和46)年3月24日が最終日でした。その後は機関車交換要員の詰所として活用され、デッドセクション廃止で完全無人化されました。  (2015年6月2日)

CSC_4045.jpg

自宅にある田村駅の有人最終日の硬券入場券。当時は珍車DD50やED70の姿を求めて、この駅に降り立ったファンの方々も多かった事でしょう。


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Author:レイルファンにっしー
週末中心にお出掛けの既婚会社員です。子供時代の1980年代からの現在に至る鉄道趣味記録をアップしていきます。

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